つれづれまんがたり ~もう一人の「きゅうたろう」~

…と、おキヌちゃんに唄って頂きました。
これで掴みはおっけー! …うん、あざといね、我ながらw
まあ私たちの世代的には、この歌こそ『オバQ』の象徴なんです (^^)
と言うワケで、今回は『オバQ』こと『オバケのQ太郎』絡みでの覚書になります…なので、おキヌちゃんを召喚しておきながら椎名先生とは全く関係ありませんです、スイマセンスイマセン (^^;;;;
『オバQ』は、今更説明するまでも無く藤子不二雄先生の大ヒット作。
それこそ詳細は各ファンサイトかウィキペディアでも参照して頂くとして。
『オバQ』自体は、大雑把に2期に分けられます。
一つが、最初に社会的大ブームを起こした少年サンデー&小学館各学年誌連載のもの。
(特に少年サンデーでの連載版の方は、初出時はスタジオ・ゼロ雑誌部の製作としてゼロと藤子先生との合作名義になっていますね。)
もう一つが『新オバQ』の作品名でまとめられている、1971年から小学館各学年誌で連載されたもの。
(アニメとしては第3期シリーズもありますが、こちらはむしろリメイク版…原作マンガがこのアニメに合わせて新たに連載されたワケではないので、ここでは外します。)
後者の『新オバQ』は、藤子不二雄ランドで刊行された時(この時点では既にコンビ解消済み)は、奥付の名義はF先生単体となっていました。
そこで描かれるギャグもF先生のテイストが強く、確かにF先生が執筆の中心だったのではと思われますが、少なくとも作画面でA先生も加わっており、正確に言えばこれも両藤子先生の合作と言えるんじゃないかと思えますね。
私なんかは世代的には、やはり旧『オバQ』は時代背景が古いせいもあってか今一つ感情移入し難く、『新オバQ』の方をずっと高く評価しているのですけど…。
いえ実際、F先生のユーモアセンスが爆発してる『新オバQ』のギャグって飛び抜けたものがあります。
“人造の湖”なんてそうそう思いつくネタじゃないですよ。 いや…

アニメ版も、東京ムービー製作の『新オバQ』(おキヌちゃんの歌は、このOPですね)は傑作だったと思いますし、これもDVD化なりBD化して欲しいところです。
長らく絶版状態になっていたマンガ版『オバQ』(『新オバQ』も含め)も、『藤子・F・不二雄大全集』においてめでたく刊行のラインナップに入りましたし、アニメ版『新オバQ』の方も是非ともお願いしたいところですね(でも、マスターフィルムは無事なのかな…)。
(…と、ここまで書いて、何となく手を延ばしたのが運のつき。 暫く『新オバQ』を読みふけってしまいました f(^^;

やっぱ、めちゃんこ面白いですわ、コレwww あ、背景のカオス状態は気にしない気にしないw)
閑話休題。 つか、『新』読了w
ここまで『新オバQ』を語っておいてなんですが、今回採り上げるのは、前者の旧『オバQ』(以降、面倒なので『オバQ』と呼称)の方に絡んだネタです。
『オバQ』の連載は週刊少年サンデー誌上にて1964年(昭和39年)第6号から連載開始…様々な周辺エピソード(最初は僅か9話で打ち切られ、また復活するなど)を挟みながら大ヒットコンテンツへと成長していったのですが、その過程、1965年(昭和40年)1月号からは小学館の学年誌である「幼稚園」と「小学一年生」~「小学六年生」での連載も始まっています。
この学年誌における複数誌同時連載ってパターンは、サンデー版の人気を踏まえた上で、来るべきTVアニメ放送と商品展開も見込んでの作品プロデュースとして、ある種、メディアミックスの走りとも言えるんじゃないか、そう私には思えます。
そして、この『オバQ』のこういった一連の作品展開を概観して見ていると、小学館サイドからの関与の大きさを感じさせられます。
それは、『オバQ』の商品化業務を小学館自らが行なう事になった件(ウィキペディアの関係項目参照)と決して無縁ではないと思われます。
なにしろ、「めばえ」「よいこ」と言う幼年誌を除く全ての学年誌で一斉に連載を開始する…学年誌作品の場合、従来から複数誌で同じ作品を別の学年生に向けて連載する事はあったでしょうけど、それをここまで徹底させたのは注目に値すると思うのです。
それは取りも直さず、子供たちに対する全年齢網羅的な作品アピールに他なりませんから。
尚、この『オバQ』の商業的大成功もあってか、以降『パーマン』から『ドラえもん』に至るまで、(途中に間隙を含みながらも)小学館における藤子作品(特にF先生の作品)は同様な形で展開され続ける事になりましたが、これは一つの商業的モデルケースを完成させたと言えるかもしれません。
さて、そんな小学館の関わりについてですが、実は更に一考させられる様な作品が同時期に存在してました。
私の手元にある雑誌の切り抜きの一葉。
それが、これ…

作者は早見利一氏。
昭和20年代から30年代頃の雑誌にその名前を良く御見かけする漫画家さんですね。
正直な話し、氏の詳しいプロフィールは判りかねますが…暖かい画柄で古き良き児童漫画を担っていた御一人とお見受けします。
で、この『たまごのきゅうたろう』なる作品、明らかに『オバQ』が基になっているのが見て取れます。
・「きゅうたろう」と言う名称の一致。
・「きゅうたろう」の外形的デザインのほぼ完全な一致(頭の毛が三本以上有りますが、実はサンデー版の初期デザインも三本以上の毛が有りました)。
・その「きゅうたろう」が生まれたのが、卵からだと言う設定も『オバQ』そのまま。
ここまでくると、もう類似してるってレベルではありません。
ですが、じゃあこれは所謂パクリ作品なのかと言うと…そう断じるのは早計っぽいのです。
他の出版社での掲載なら兎も角、この作品の連載誌は小学館の幼年向け学習誌である「よいこ」。
しかも、この第1話の初出は1965年の1月号。
そう、正に『オバQ』が同じ小学館の学年誌で連載開始されたのと同時に、この作品の連載も始まっているんです。
各雑誌毎に編集部は分かれているとは言え、『オバQ』自体が7誌もの学年誌で同時に連載を始めている事を思えば、同じ学年誌(学習誌)の系列で連載されたこの作品も同じ企画の中に置かれていると考えた方が自然でしょう。
これ程までの設定の類似に加え、他の『オバQ』と連動して同時に連載が始まったと言う状況…この『たまごのきゅうたろう』は、企画自体が編集部(小学館)主導で立てられ、そこから早見氏へ依頼されて描かれた作品なのではないか…そしてそれは、『オバQ』と言う作品全体に小学館が関わったプロデュースの一端を垣間見せているのではないか…それが私の見解です。
推測ですが、各学年誌での連載に合わせて、小学館的には幼児への『オバQ』の認知を図っていたと見る事が出来るかもしれません。
但し、「よいこ」の対象年齢は3歳児から幼稚園入園前の幼児年代…ここでの漫画となると親が一緒に読み聞かせる絵本的なモノであったと思われます。
当時は決して漫画の社会的な地位は高くありませんでしたし(今だって決して高い地位に居るワケじゃないのですが、より低俗なものと考える親御さんも多かった模様)、そんな当時におけるこの雑誌の位置付けや、当然まだこの頃の『オバQ』の社会的認知度は低かったであろう事情も含め(今だったら、あのハチャメチャなQちゃん…食いしん坊で、だらしなくて、周りを引掻き回す愛すべきおバカキャラ…を可愛いと思いこそすれ、抵抗を覚える親御さんなんてまず居ないでしょうけどねw)、取り敢えずより無難に絵本的なリライトを想定しての早見氏への原稿依頼だった…のではないか?、私はそんな風に考えています。
尚、若干時期が下がりますが、小学館が『オバQ』をどれだけ幅広い世代に向けて多角的に展開したのかは、「Qちゃんネル」様のコンテンツ「オバQア・ラ・カルト」をご参照くだされば、理解できるかと思います。
少年誌のみならず、女学生向け雑誌や女性誌でも掲載していたのですよね (^^)
『オバQ』に対するこの出版社の総力を上げての展開具合には、如何な社会的人気作品とは言え、現在の出版事情、マンガ事情では想像できないものがあります。
ところでこの『たまごのきゅうたろう』、第2話以降がどうなったのかは手持ち資料も無く判りません。
連載と言っても、この当時の幼年誌のそれを今の雑誌のそれと同じ概念では括れないでしょうし、実際、どの程度描かれたのか全く解かりません。
何かご存じの方が居られましたら、ご教示いただければ有り難いです m(_ _)m
また補足ですが、上記「オバQア・ラ・カルト」でも解かりますが、TVアニメ放送に合わせる形で、1965年8月号より「よいこ」誌上でも藤子先生の筆によるオリジナル『オバQ』の連載が始まっています。
正に絵本的な幼年誌のそれから、ストーリー性が必要となる少年サンデーのそれまで、これ程までに幅広い年齢層向けに、同じタイトル作品を別個に描き分けて同時連載する…『パーマン』などでも言える事ですが、正に藤子先生の力量の凄まじさを感じさせる“業績”です。
今のマンガ家で、こんな人間離れした芸当が出来る人って果たして居るのでしょうか?
とまあ、そんな感じで色々と当時のマンガ事情…そこには現在にも繋がる、商業誌作品の“作品”としての側面と“商品”としての側面の対照も存在しています…にも想いを馳せらせる、そんなちょっと不思議な風体を感じさせる作品 『たまごのきゅうたろう』 についての覚書でした。
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